幸せな家庭を築きたいから婚活サイトの登録をしてみようと思います

私の女友達は結婚してからも、不倫をしていました。
きっかけは旦那さんが不倫をしてそこから許したけれども、自分の気持ちが冷めたと言っていたのです。
元々容姿も悪くなく、話上手な彼女は相手に困らなかったようです。
ネイルサロンの仕事をして子どもを保育園に預けていたので、その合間で不倫をしていました。

私は不倫に対して賛同できる意見を持っておらず、結婚をしていても、彼氏の話をする友達に不信感も持っていました。
旦那さんとの間に子どもが二人いて、「離婚はしない。結婚は誰としても同じ。恋愛を楽しみたい」と言っていました。

そんな割り切った不倫をしているかなと思った彼女でしたが、旦那さんとは結果的に離婚をすることになりました。
私はお互いに不倫をするような関係なので、離婚をする方が良いぐらいかなと思っていたので、彼女から報告を受けた時には、「大変だったね」とねぎらいましたが、心では仕方がないなと思いました。

そしてびっくりしたのは、その1年後に再婚をする、三人目の子どもがお腹にいるという報告を受けたことです。
できちゃった再婚になるのですが、まだ1年も経たないうちなのにと思いましたし、彼女が不倫をしまくっていたのも知っていたので、賛成する気になれずに離れました。

結婚をしても女であることを忘れられず、一つの家庭に落ち着かずに恋愛がしたいという女性もいますが、友達もそうだったのかなと思います。
旦那さんが不倫をした、彼女も不倫をしたということで、最初は同情していましたが、2人、3人と相手が出てくるうちに病的だなと思いました。
今度再婚をした相手とは、これから先までお互いに不倫をせずに、しっかりと家庭を築いてほしいなと思いました。

男性から言い寄られたりするのは女性にとってときめきますし、いつまでも女でいられているように自信はつきますよね。
しかし、周りからするとやはり見ていられないな、子ども達が可哀想だなという気持ちしかなかったというのが本音です。

私は、私だけを見てくれる男性と出会いたいので、こちらのサイトを参考に、まずは無料会員から始めてみようと思いました。
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不親切な病院と丁寧な薬局の薬剤師さん

私は、精神病院に通っています。
担当医師が72歳なので、以前から薬の出し間違えが多く、要らないといった整腸剤を6回以上調剤薬局で貰うという、何ともイライラする経験があります。

また、その事を実際に担当医師に泣きながら、なんで精神病院にきてイライラさせられなければならないのかと訴えました。
その時、私も興奮して体調も悪かったので、注射をしてもらう事になりました。
これもまた手違いがあり、”副作用が出る”と電子カルテに履歴がある注射をされ、2時間後から副作用がはじまり、そわそわして、じっとしている事ができなくなりました。
そこで、夜間外来で通院している精神病院に電話した所、副作用がある注射を打っていますね、すみませんが副作用止めの注射を打ちに来てくださいと言われました。

夜間外来で精神病院にいき、副作用止めの注射を打ち落ち着きましたが、イライラが止まりませんでした。
もう、要らないと伝えている薬を何度も調剤薬局からもらい、最後には担当の医師が間違っているので病院に確認してくださいと訴えましたが、もちろん、それまでの薬代の一部は私に不必要なものまで支払っている事。
そして、副作用の出る注射まで打たれて、その処置代も私が払っており、副作用止めの注射代も払いました。
あってはならない事と思い、とても悔しかったです。

あと、頻繁に起きた出来事ですが、領収書を貰うときに、苗字が一緒で名前が違う人の領収書をもらいました。
会計も忙しそうで30分ほど待った上に、違う金額で違う人の領収書を渡されたときは、本当にイライラしました。
そして、何よりもここに書いたような出来事に対して病院側は、すみませんの一言で終わらせるのです。
薬のお金と時間と来院する手間を考えると、精神病を持つ人は、この病院では金づるとしか考えてないのだと思いました。
なぜ、精神病院でイライラさせられて、具合が悪くさせられねばならないのかと、本当にイライラした事。
そして調剤薬局からは、10割負担してもらわないといけない分がありますと言われました。
精神障害の手帳をもっていて自立支援の手続きをとっているのになぜだろうと思い、役所に電話をしたら10割負担しなくていいとの事でした。
その後調剤薬局に行ったところ、病院から薬局に書類が届いてなかったようで、間違っていました、返金するように致します。申し訳ありませんでした、との事。
手間取りましたが、薬局の薬剤師さんたちには、本当に親切に対応していただけました。
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しかし、病院って適当だなと思いました。

たった2日間の恋愛と婚活サイトへの登録

居酒屋でアルバイトをしているときに、遅い時間に1人で入店してきたお客さんがいらっしゃいました。そのお客さんを見た瞬間、衝撃が走り、釘づけになってしまったのですが、とてつもなくかっこいい男性でした。私のタイプそのものを現実化したような男性で、メニューをお持ちしたのですが手が震えてしまうくらい緊張し、直視できず、そんな経験は生まれて初めてでした。

もちろんその彼はそんなことは知りませんので普通にお酒を注文してきました。遅い時間だったため、モチベーション的にはだらけていた私ですが、彼のオーダーを是が非でも持っていきたいくて、なんとか私が運べるようにいい具合の位置に立っていたりしました。そしてお酒を運ぶと彼の方から「俺この地元の人間じゃないんだよね。何かおすすめの食べ物ある?」と聞いてきました。嬉しくて、でも舞い上がっているテンションは見せないようにと平然をよそおって対応しました。その流れから少し会話ができ、じゃあこのあと仕事が終わったら飲みに行こうよ。と誘われました。

こんなイケメンが私を誘ってくるなんてありえないから、きっと誰でもいいだろうし、やっぱりイケメンは軽いんだな・・と思いましたが、あまり邪見に扱ってはいけないと思って、「じゃあ携帯番号教えてください。連絡します」といって自分の番号は教えないつもりでした。どうせ地元の人ではなく、出張でしばらくしたらこの地を離れるといっていたのでそのような対応にしました。すると、「いや、番号教えてしまったら何か目的あると思われても嫌だし、このお店の裏側で待ってるから気が向いたら来てよ。無理にとは言わない」と言われてしまいました。

自分のストライクの男性と話ができただけでも満足だったし、待っているわけがないと思い、その日はバイトが終わってから一旦帰宅しました。帰ってからも紋々とあの男性のことを考えていて、一人で妄想してきゅんきゅんしたりしてとても寝られる精神状態ではありませんでした。そこで、試しに彼が待っているといったお店の裏側へ行ってみることにしました。その日は大雪で、そこの居酒屋の電気が消えてしまうと辺り一帯真っ暗になってしまうような場所だったため、一応行ってはみましたが姿が見当たらなく帰宅しようとしたとき、彼の姿を発見しました。頭に雪をのせて上着もペラペラの薄いもの一枚で立っていました。

思わず声をかけると「屋根の下にいたらわからないかとおもって、わかりやすい場所に立っていたら、自分に雪積もっちゃった。来てくれないと思ったけど俺から誘っておいて、万が一来てくれたらどうしようと思って帰るに帰れなくて1時間くらい立ってた」といって震えながら笑っていました。そんな彼を見たら、とりあえず車に乗りなよと誘う以外の言葉が見つかりませんでした。

彼がなぜかカラオケに行きたいというので、カラオケに入りお互い歌うだけ歌って、世代が一緒だからか知っている共通の歌が多く、オールで歌い通しました。外が明るくなったので、彼を拾った場所まで送ると、お互い疲れていたのもあったため、たいして話もせずにそのまま帰宅しました。

次の日になり、ふと思い返すと何県の人なのか、いくつなのか、名前すら仕事すら知りませんでした。それはお互い様ですが、あんなに楽しかったのに何も知らないため、彼のことが知りたくなりました。次の日の夜、彼はまた居酒屋にきてくれました。仕事が忙しかったため会話することはできませんでしたが、気になって仕事の帰りに昨日彼をひろった場所へ行ってみると、また彼が立っていました。「会いたかったから」と一言だけいって、お互い大雪の中、暖を取るように近距離で話をしました。

そこでお互い、名前と出身地を初めて知りました。その日は、こんな人がタイプだとか、こんな恋愛が理想だとか深い話もたくさんしました。外が明るくなり、また朝方になってしまいそろそろ帰ろうかとなったときに「俺、明日地元かえるんだ。君みたいな人が近くにいたらいいなとおもった。出会えてよかった」と言われました。私も同じことを思いましたが、彼のようにストレートに伝えることができませんでした。そのまま彼と別れましたが、当然次の日も、その次の日もあの場所に彼の姿はありませんでした。結局今思えば出身地も名前も嘘だったかもしれませんが、今だに忘れられない出来事です。

彼のような人は2度とあらわれないだろうなと思うし、ずっと引きずっていてもまた会えるわけがないのはわかっているのですが、数年たった今でも彼を超えるような人が現れず、ずっと誰とも付き合えずにいます。こんなんだったら、もっと彼のことをガツガツ聞いたり、何としてでも携帯番号を聞くか、逆に出会わなかったらよかったのかな、と自問自答しています。そんな勇気のない私だから未だに独りなのかな・・・。

さすがに適齢期なので、相手ぐらいは欲しいので、勇気を出して婚活サイトに登録してみようと思います。※婚活サイト 無料登録
次に出会えた人には、自分からももっと勇気を出して頑張りたいと思います。

地方薬剤師の想い出

かれこれ十何年前のことになりますが、祖父はがんとの闘病で入退院を繰り返し、最期は病院で迎えました。そんな祖父は、最期まで意地でも弱音を吐かず、今まで通り(語弊はあるかもしれませんが)の祖父のままでした。

末期の頃になると、祖母と母が交代で入院している祖父の付き添いで大学病院に泊まることも多くなっていきました。数日に一度、祖母に代わって母が付き添いに行っていたときのこと。祖母が自宅に泊まりに来た時によく祖父の話を聞かされていました。そこでよく聞くのは、思うようにいかなくなった体が嫌らしいということ(実に祖父らしいなぁと今思うとそう感じる)。どうやらそれがもどかしいらしいです。

翌日、祖父の付き添いから帰ってきた母は何を言うかと思えば、
「ぱぱちゃんがね、私が怖い話をテレビで見ていたらね、むくっていきなり起きるから心臓止まるかと思ったの!」と。
今はもう、そんなことあったよね、と家族で話し合えるようにようやくなりましたが、その頃はそんな余裕もなく、本当に何かあったんじゃないかと慌てたり、心が休まない日々は続きました。

祖父が亡くなるまでの数カ月は、ほぼ毎日のように大学病院に通ってました。日に日に衰弱していく祖父に、無力感を覚える私。けれど当時小学生の自分には何もできるはずもありませんでした。

今でも思うのは、どんなに医療の技術が上がっても、ステージによってはがんに対しては人間は無力なんだな、と痛感させられます。祖父は、長い闘病を終え、長い旅に行きましたが、旅に出てしばらくは病院の近くを通るたびに病院へ寄らないということに不自然さを感じる、という日が続きました。

今は祖母も、祖父のことを思い出したりしても笑って話すことができるようになりましたが、数年は思い出すだけで泣いたりしていたので、生きること、死ぬことにいろいろな思いがありました。最期を看取るまで一番近くで接していたからこそその分つらい思いをしていたんだろうなと思います。

これまた今となっては笑い話ですが、祖父のお世話になった大学病院に、自分も救急搬送された、という話もあり、病院って、身近にあると安心なんだなと感じました。
そういうこともあってか、私は大人になって薬剤師になったものの、地元に帰りたい思いが強く(地方で働く薬剤師は高給というのもありますが(苦笑))、地方都市で薬剤師をしています。患者さんや、その家族に安心を与えられるような薬剤師でありたいと思います。
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文京区の薬剤師がすすめる変わった整形外科?

以前、左膝の半月板を損傷しました。
もちろん、手術はしたのですが、痛みは消えず、いつも痛みを抱えている状況です。ジョギングが趣味なので週末走るのですが、その度に痛みを感じます。

ある時、意を決しフルマラソンに参加したのですが、ひさをさらに痛めてしまい、スポーツ整形外科に行くことにしました。そのお医者さんは近所では名医で名が通っている方です。妻が文京区で薬剤師をしているので、その伝手で紹介してもらったのです。(※薬剤師求人文京区

けど、結構変わった人で初めての人は面喰ってしまいます。私も初めて行ったとき、「走って痛いんだったら走るの止めればいいじゃん。」と平然と言われ、「いや、痛みをとるためにどうしたらいいのか教えてください」と言い返したところ、「痛めた場所、半月板でしょ。MRIの結果を見ても治らない状態だよ。」となんとも悲しく突き放されました。

診断の途中でしたが、その一言には頭に来て、もう帰ろう、と思った時に、「俺が『走るのを止めろ』と言っても、あんた、走るのを止めたくないんだろ。それで走るのを止めてもあんた納得いかないはずだ。つまり自分の中に答えがあるんだよ。申し訳ないが現代の医療ではあんたの膝は治せない。その状況でどうしたいか。痛いのを我慢して走り続けたいか。走るのを止めて痛みを和らげるか、どうしたいんだよ。それを答えてくれ。そのオーダーに沿って俺はあんたと付き合っていく。」と言葉は悪いですが、非常に熱く語り始めました。

先生曰く、整形外科というのはまだ未開発な部分も多く、患者さんに無理を強いずに納得する形で治療するというのが難しいらしいです。
また医者はあくまで客観的に患者さんの状況は把握できるが、患者さんの本当の痛み、症状は結局わからない、だから患者さんの「本当の心の声」をできる限り理解し患者さんの望む治療をしていきたい、とのことでした。

なんとなく、そのお医者さんが言いたいことを理解し、また同意できたのでそのお医者んさんに通っています。ただ、前回も左膝にヒラルロン酸の注射を打つ時に、「それ痛いんですよねー」と言ったら「そんなの知らないよ。オレ、打たれたことないもん。けど、患者さん、大体痛そうな顔しているから痛いんじゃないの?知らないけど。」といつものつっけんどんな回答が来ました。

その言い方は先生自身のケガにつながるかもよ、と心の中で笑ってしまいました。

 

究極の選択 ~命の重さ~

闘病生活約8年前に亡くなった母が、入退院を繰り返していた頃のお話です。
めったに病院に行きたがらない我慢強い母が「病院に連れてって」と言った日が、入退院の始まりでした。
みぞおちのあたりが痛いというのです。つい一週間前まで私が胆管炎で入院していた総合病院に連れて行きました。

親子ですね、同じ胆管炎……胆嚢(たんのう)に石があるらしくそれが原因で胆管炎になっているというのです。
あらまぁ! と思いました。正直、笑えます。

入院する数年前から軽度の認知症を発症していたので、内臓疾患での入院ついでに、脳のMRI検査もお願いしました。
数年前にMRI検査の予約をした時は、検査当日になって「病気でもないのに、なんで検査しなきゃならないの!」と大喧嘩になり、結局、検査ができずじまいだったからです。
認知症を発症した場合、その原因が病的なものなのか、加齢によるものかを判断するために脳のMRI検査をするのが一般的だと、町医者に教えて頂いていたので、今回の入院をいい機会だと思いMRI検査もお願いしました。

MRI検査の結果、右脳に2.5cm程度の腫瘍が発見されましたが、まだ小さいので経過観察しましょうとなりました。
約二ヶ月の入院の後、胆嚢の石は摘出し、胆管炎も治りましたが、母の場合、胆嚢(たんのう)に石というよりドロに近いものがたまる体質らしく、再発する可能性が高いので胆嚢にクダをさし腹部から短いチューブを出して、再発してもすぐ内視鏡治療できるようにしての退院でした。
腫瘍マーカーという数値が入院で下がったものの、通常よりは高いままなので再発の可能性が高いと言われていました。

退院し三ヶ月後の定期通院の時、脳腫瘍の経過観察で再度MRI検査をすると、発見当初2.5cmだった腫瘍が約6cmまでに成長しているではないですか!
すぐさま脳外科の医師に相談となり、通院していた総合病院でも手術はできるけれど非常に微妙な位置に腫瘍があるということで、紹介状を書いてもらいすぐさま大学病院に行きました。
大学病院での検査結果によると、腫瘍が右脳にあるので、だんだん左半身の運動機能が麻痺し、数週間以内に左にある心臓も停止する。
ようするに、こままま放置すれば数週間以内に死ぬというのです。
内臓に疾患があるため癌の転移による脳腫瘍か判断するため、当時の最先端技術PET検査を実施しましたが……判断ができかねるという結果でした。
母の年齢は79歳。
外科手術をすれば、言語障害になる可能性が高い。
年齢から考えて、手術後、このまま寝たきりになる可能性が高い。
癌の転移による脳腫瘍なら手術をしても再発の可能性が高いから普通は手術をしない。しかし癌の転移と断定もできない。
数週間以内に確実に死が待っている、この真実だけは変わらない。
医師は言いました「どうしますか」と。
母親という別の人間の命をどうするかという、究極の選択をせまられたのです。
母の命、言語障害になるリスク、寝たきり、医療費、介護費用……etc、様々なことが頭をかけめぐりましたが、「手術をお願いします」と答えました。

結局、医師からは考えると言われました。
大学病院帰りの途中、駅で電車を待っていると携帯電話に医師から電話がありました。
「私にも同じ年齢の母がいます。自分だったらどうするかいろいろ考えました」といわれ、当時の最先端医療の「ガンマナイフ治療(放射線治療)」を勧められました。

1度だけのガンマナイフ治療後、経過観察すると、あらまぁ、なんということでしょう! 
時間とともに脳腫瘍はだんだん小さくなっていき、心配ないと言われました。
数週間以内に死ぬと言われたことが嘘のように感じられました。

しかしながら、内臓の疾患はやはり再発し、約1年8ヶ月のうち1年半は入院していました。
その入院中にも、母という別の人間の命の選択を2度せまられました。
1度は「時間がないんです。今すぐ、どうするか判断してください!」と言われたこともありました。
最後は、食事もとれなくなり、鼻から遺漏(いろう)というチューブを胃まで入れて、消化にいよい状態にしたものを栄養補給する状態になっていました。

ほとんど意識もなく、亡くなる半月前頃、「体内の吸収が悪いので、このまま同じ量を補給するより、量を減らしたほうが体の負担にならないから」と、補給量を減らしていいかの判断をせまられました。
医学の素人なので、補給量を減らすということは食事量を減らすのと同じ、栄養がとれなかったら体が弱る、弱れば死が待っている……というふうに考えるのが当たり前で、悩みに悩んで、医療のプロである医師のいうとおり体に負担の無い量に減らしました。

自分や家族、大切な人が病気になり、入院し、命という究極の選択をせまられる場面が必ずやってくるはずです。
健康なうちから、「もし自分の命に関して選択をせまられたら」ということを話し合っておきたいものです。

今でも、あの選択は正しかったのか、私にはわかりません。
それから、いろいろ医療現場の医師や看護師の問題がなにかと話題になりますが、自分のことのように親身に考えてくれた大学病院の医師、ガンマナイフ治療の医師、お世話になった看護師さんたちには頭が下がる思いで、今でも感謝しています。