地方薬剤師の想い出

かれこれ十何年前のことになりますが、祖父はがんとの闘病で入退院を繰り返し、最期は病院で迎えました。そんな祖父は、最期まで意地でも弱音を吐かず、今まで通り(語弊はあるかもしれませんが)の祖父のままでした。

末期の頃になると、祖母と母が交代で入院している祖父の付き添いで大学病院に泊まることも多くなっていきました。数日に一度、祖母に代わって母が付き添いに行っていたときのこと。祖母が自宅に泊まりに来た時によく祖父の話を聞かされていました。そこでよく聞くのは、思うようにいかなくなった体が嫌らしいということ(実に祖父らしいなぁと今思うとそう感じる)。どうやらそれがもどかしいらしいです。

翌日、祖父の付き添いから帰ってきた母は何を言うかと思えば、
「ぱぱちゃんがね、私が怖い話をテレビで見ていたらね、むくっていきなり起きるから心臓止まるかと思ったの!」と。
今はもう、そんなことあったよね、と家族で話し合えるようにようやくなりましたが、その頃はそんな余裕もなく、本当に何かあったんじゃないかと慌てたり、心が休まない日々は続きました。

祖父が亡くなるまでの数カ月は、ほぼ毎日のように大学病院に通ってました。日に日に衰弱していく祖父に、無力感を覚える私。けれど当時小学生の自分には何もできるはずもありませんでした。

今でも思うのは、どんなに医療の技術が上がっても、ステージによってはがんに対しては人間は無力なんだな、と痛感させられます。祖父は、長い闘病を終え、長い旅に行きましたが、旅に出てしばらくは病院の近くを通るたびに病院へ寄らないということに不自然さを感じる、という日が続きました。

今は祖母も、祖父のことを思い出したりしても笑って話すことができるようになりましたが、数年は思い出すだけで泣いたりしていたので、生きること、死ぬことにいろいろな思いがありました。最期を看取るまで一番近くで接していたからこそその分つらい思いをしていたんだろうなと思います。

これまた今となっては笑い話ですが、祖父のお世話になった大学病院に、自分も救急搬送された、という話もあり、病院って、身近にあると安心なんだなと感じました。
そういうこともあってか、私は大人になって薬剤師になったものの、地元に帰りたい思いが強く(地方で働く薬剤師は高給というのもありますが(苦笑))、地方都市で薬剤師をしています。患者さんや、その家族に安心を与えられるような薬剤師でありたいと思います。
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文京区の薬剤師がすすめる変わった整形外科?

以前、左膝の半月板を損傷しました。
もちろん、手術はしたのですが、痛みは消えず、いつも痛みを抱えている状況です。ジョギングが趣味なので週末走るのですが、その度に痛みを感じます。

ある時、意を決しフルマラソンに参加したのですが、ひさをさらに痛めてしまい、スポーツ整形外科に行くことにしました。そのお医者さんは近所では名医で名が通っている方です。妻が文京区で薬剤師をしているので、その伝手で紹介してもらったのです。(※薬剤師求人文京区

けど、結構変わった人で初めての人は面喰ってしまいます。私も初めて行ったとき、「走って痛いんだったら走るの止めればいいじゃん。」と平然と言われ、「いや、痛みをとるためにどうしたらいいのか教えてください」と言い返したところ、「痛めた場所、半月板でしょ。MRIの結果を見ても治らない状態だよ。」となんとも悲しく突き放されました。

診断の途中でしたが、その一言には頭に来て、もう帰ろう、と思った時に、「俺が『走るのを止めろ』と言っても、あんた、走るのを止めたくないんだろ。それで走るのを止めてもあんた納得いかないはずだ。つまり自分の中に答えがあるんだよ。申し訳ないが現代の医療ではあんたの膝は治せない。その状況でどうしたいか。痛いのを我慢して走り続けたいか。走るのを止めて痛みを和らげるか、どうしたいんだよ。それを答えてくれ。そのオーダーに沿って俺はあんたと付き合っていく。」と言葉は悪いですが、非常に熱く語り始めました。

先生曰く、整形外科というのはまだ未開発な部分も多く、患者さんに無理を強いずに納得する形で治療するというのが難しいらしいです。
また医者はあくまで客観的に患者さんの状況は把握できるが、患者さんの本当の痛み、症状は結局わからない、だから患者さんの「本当の心の声」をできる限り理解し患者さんの望む治療をしていきたい、とのことでした。

なんとなく、そのお医者さんが言いたいことを理解し、また同意できたのでそのお医者んさんに通っています。ただ、前回も左膝にヒラルロン酸の注射を打つ時に、「それ痛いんですよねー」と言ったら「そんなの知らないよ。オレ、打たれたことないもん。けど、患者さん、大体痛そうな顔しているから痛いんじゃないの?知らないけど。」といつものつっけんどんな回答が来ました。

その言い方は先生自身のケガにつながるかもよ、と心の中で笑ってしまいました。

 

究極の選択 ~命の重さ~

闘病生活約8年前に亡くなった母が、入退院を繰り返していた頃のお話です。
めったに病院に行きたがらない我慢強い母が「病院に連れてって」と言った日が、入退院の始まりでした。
みぞおちのあたりが痛いというのです。つい一週間前まで私が胆管炎で入院していた総合病院に連れて行きました。

親子ですね、同じ胆管炎……胆嚢(たんのう)に石があるらしくそれが原因で胆管炎になっているというのです。
あらまぁ! と思いました。正直、笑えます。

入院する数年前から軽度の認知症を発症していたので、内臓疾患での入院ついでに、脳のMRI検査もお願いしました。
数年前にMRI検査の予約をした時は、検査当日になって「病気でもないのに、なんで検査しなきゃならないの!」と大喧嘩になり、結局、検査ができずじまいだったからです。
認知症を発症した場合、その原因が病的なものなのか、加齢によるものかを判断するために脳のMRI検査をするのが一般的だと、町医者に教えて頂いていたので、今回の入院をいい機会だと思いMRI検査もお願いしました。

MRI検査の結果、右脳に2.5cm程度の腫瘍が発見されましたが、まだ小さいので経過観察しましょうとなりました。
約二ヶ月の入院の後、胆嚢の石は摘出し、胆管炎も治りましたが、母の場合、胆嚢(たんのう)に石というよりドロに近いものがたまる体質らしく、再発する可能性が高いので胆嚢にクダをさし腹部から短いチューブを出して、再発してもすぐ内視鏡治療できるようにしての退院でした。
腫瘍マーカーという数値が入院で下がったものの、通常よりは高いままなので再発の可能性が高いと言われていました。

退院し三ヶ月後の定期通院の時、脳腫瘍の経過観察で再度MRI検査をすると、発見当初2.5cmだった腫瘍が約6cmまでに成長しているではないですか!
すぐさま脳外科の医師に相談となり、通院していた総合病院でも手術はできるけれど非常に微妙な位置に腫瘍があるということで、紹介状を書いてもらいすぐさま大学病院に行きました。
大学病院での検査結果によると、腫瘍が右脳にあるので、だんだん左半身の運動機能が麻痺し、数週間以内に左にある心臓も停止する。
ようするに、こままま放置すれば数週間以内に死ぬというのです。
内臓に疾患があるため癌の転移による脳腫瘍か判断するため、当時の最先端技術PET検査を実施しましたが……判断ができかねるという結果でした。
母の年齢は79歳。
外科手術をすれば、言語障害になる可能性が高い。
年齢から考えて、手術後、このまま寝たきりになる可能性が高い。
癌の転移による脳腫瘍なら手術をしても再発の可能性が高いから普通は手術をしない。しかし癌の転移と断定もできない。
数週間以内に確実に死が待っている、この真実だけは変わらない。
医師は言いました「どうしますか」と。
母親という別の人間の命をどうするかという、究極の選択をせまられたのです。
母の命、言語障害になるリスク、寝たきり、医療費、介護費用……etc、様々なことが頭をかけめぐりましたが、「手術をお願いします」と答えました。

結局、医師からは考えると言われました。
大学病院帰りの途中、駅で電車を待っていると携帯電話に医師から電話がありました。
「私にも同じ年齢の母がいます。自分だったらどうするかいろいろ考えました」といわれ、当時の最先端医療の「ガンマナイフ治療(放射線治療)」を勧められました。

1度だけのガンマナイフ治療後、経過観察すると、あらまぁ、なんということでしょう! 
時間とともに脳腫瘍はだんだん小さくなっていき、心配ないと言われました。
数週間以内に死ぬと言われたことが嘘のように感じられました。

しかしながら、内臓の疾患はやはり再発し、約1年8ヶ月のうち1年半は入院していました。
その入院中にも、母という別の人間の命の選択を2度せまられました。
1度は「時間がないんです。今すぐ、どうするか判断してください!」と言われたこともありました。
最後は、食事もとれなくなり、鼻から遺漏(いろう)というチューブを胃まで入れて、消化にいよい状態にしたものを栄養補給する状態になっていました。

ほとんど意識もなく、亡くなる半月前頃、「体内の吸収が悪いので、このまま同じ量を補給するより、量を減らしたほうが体の負担にならないから」と、補給量を減らしていいかの判断をせまられました。
医学の素人なので、補給量を減らすということは食事量を減らすのと同じ、栄養がとれなかったら体が弱る、弱れば死が待っている……というふうに考えるのが当たり前で、悩みに悩んで、医療のプロである医師のいうとおり体に負担の無い量に減らしました。

自分や家族、大切な人が病気になり、入院し、命という究極の選択をせまられる場面が必ずやってくるはずです。
健康なうちから、「もし自分の命に関して選択をせまられたら」ということを話し合っておきたいものです。

今でも、あの選択は正しかったのか、私にはわかりません。
それから、いろいろ医療現場の医師や看護師の問題がなにかと話題になりますが、自分のことのように親身に考えてくれた大学病院の医師、ガンマナイフ治療の医師、お世話になった看護師さんたちには頭が下がる思いで、今でも感謝しています。